恋するオルランド、第2回目

mixiの方で、「元気が出る孟子」はどうなった、という話になった。・・・完全に、忘れていた。

こう見えても、私は儒教徒なわけである。2007年7月ころ、「吉田ゆとりの元気が出る孟子」を出版し、日本中の読者に元気を出させようと、という壮大な企画を立てたことがある。いや、若かった、現実を知らなかったとは言え、明らかに今の私よりも魂の位が高いとしか思えない企画だ。ちなみに、「吉田ゆとりの元気が出る孟子」のあとは、「吉田ゆとりの力が抜ける老子」も企画した。これらが出版されれた場合、「元気が出る孟子」によって日本は活力を取り戻し、また疲れすぎている人には「力が抜ける老子」によって明日への希望を持つことができるはずなのである。

せっかくホームページを作ったと言うのに、なんか大事なことを忘れてたんだな。自費出版は大変なので、「元気が出る孟子」あたりからやってみようかな。あと、老子は読んでてたまに怖くなるが良書。あと、安能務の思想などまとめて公開とかもやりたい。それとも、こういうのは最低でも社会人になり、さらに経験をつんで30歳超えたあたり、人格形成してからのがいいのかもしれん。なんにせよ、孟子を再読したり、安能務を再読したりだな。

このブログ来てる人の大多数が儒教やら道教に興味ないだろうからこの話はここまで。で「恋するオルランド」の2回目。キリスト教徒第2の騎士、リナルド(フランス語だとルノー・ド・モントーバン)の登場です。

第2回

だが、著者はここでこのグラダッソに関する記述をひとまずここまでとしなければならない。そのうち、また再び彼の話をすることになるのであろうから。さて、シャルルマーニュについて語ることにしよう。彼は大規模な馬上槍試合を開催し、各地から参加者としてその優れた家臣たちを招集した。この槍試合ではシャルルマーニュの家臣のうち、パラディンたち、またパラディンではないがそれに勝るほどのもの、劣る者たちが、キリスト教徒や異教を信仰する異邦人らと戦いを繰り広げた。そして、槍試合の開催期間中は、多くの参加者がパリに滞在したのである。

招待客のうち、巨人グランドニオ、フェッラウ、シャルルマーニュの親類のバルンガンテ王(King Balugantes、ググったけど、どこの地名か不明)、イソリエル(Isolier、発音は適当)、セルペンティン(発音は適当)などが著名であり、その他にも大勢の招待客がいた。

ちょうどその日は、シャルルマーニュによってキリスト教徒のお祭り(別の版だと聖霊降臨祭と記述あり)が豪勢に開催されていた。この祭りでは、高貴な衣装をまとったシャルルマーニュが、キリスト教徒と異教徒の招待客、2万2千と30人を楽しませたのである。

左右に広がるいくつものテーブルは、当然のことながら身分によって区別されていた。第1のテーブルはキリスト教徒の国の王たち、すなわちイングランド王オト(この時期の英国王は、オッファ・オブ・マーシアとか言う名前だったらしい)、ランゴバルト王デジデリウス、ブリトン王シャラモンらが席に着いた。次に第2のテーブルは、高官や人々から尊敬の念を抱かれている人物、公爵や侯爵などといった上位貴族が席に着く。第3のテーブルは伯爵や単なる騎士たちが席に着いた。第3のテーブルでは、ガノらマガンツア家が他の貴族たちと比べて特に誉れ高い存在であった。

リナルドはマガンツア家の連中に対し、瞳に炎を宿しながら目つめた。
というのも、マガンツア家の者たち、すなわちこの上もないほどの逆臣たちは、リナルドの服装などがとうてい自分たちとふさわしくないから、王によって別の席につかさせるべきだと言って嘲笑し、侮蔑したからである。

内心、リナルドは狂わんばかりの劇場で覆われていたが、何気ない風を装ってコップやグラスを手に取っている。ただ、このようにつぶやいた。

(畜生め、下賎な連中だ!明日が来る前に、おれの剣でもって、連中こそこの席ににふさわしくないと言うことを証明してやりたいものだ。くそ、うじゃうじゃ集まったサソリ見たいなやつらだ!俺の武器がそれたり、しくじったりしない限り、貴様らの席は俺のものになるんだが)